60代 まーしゃんの日日是好日

微妙なお年頃と闘いながらも、フワッと歳を重ねたい日々の記録です

しあわせLETTER

帰宅すると、主人の姪からの封書がポストに。

ある生命保険会社で男性と肩を並べ、紅一点で頑張っている。

実直な両親の元、絵に描いたように真面目で優しい女性になった。

 

その彼女から定期的に届く

「しあわせLETTER」

仕事でご縁を頂いた方たちに定期的に送っているもののようである。

表面は仕事がらみのイベント情報で、裏面は割と私的な想いが綴られている。

 

今回の裏面は『祖父との思い出』(祖父とは主人の父)

その中には主人の亡き母が作っていたお団子についての一説が。

きな粉や餡を絡めた物のようだ。

 

「ようだ」というのは、私には全くそのお団子の記憶がないからだ。

他県で暮らし、多い時でせいぜい年に2回の数日間一緒に過ごすだけ。

子供たちが大きくなってからは会うことも減り、

電話の声を聞くだけという親不孝をしてしまった。

 

もう一つの記事が『沢庵のきんぴら』

これも主人の母が作っていたようなのだが、私は知らない。

 

記憶の中の母はとても優しい。

意地悪をされた事は全くない。

行けば、いつも食べきれない程たくさんのごちそうを作って待っていてくれた。

毎回殆ど同じ献立ではあったが、それだけ記憶は鮮烈である。

 

素朴な色合いのお赤飯、どてっと大きな卵焼き、高野豆腐、大根の煮物、お味噌汁、

お肉やお刺身、おぜんざいetc

少し腰の曲がった体でちょこまかとよく動く。

私には食後の洗い物も一切させなかった。

完全な上げ膳据え膳であった。

子供たちを見てたらいい、と言ってくれていた。

 

「台所は女の城」と背中が言っていた。(と、勝手に思っていた)

 

当時は他人行儀で嫌だな、などという気持ちもどこかにあったが、

今、息子二人にもお嫁ちゃんができてわかった。

自分一人で台所に立つことは全く普通で、苦でもなんでもない。

たまにしか会えないなら、できることはしてあげたい、と心底思う。

 

母も一緒だったんだな。

 

母の梅干しは天下一品で主人はもちろん、娘も息子たちも、私も大好き。

塩分の強い、辛~い梅干し。

まだ小さかった頃の子供たちでさえ、市販の梅干しは甘くて美味しくない、と言ってたっけ。

 

母が亡くなって5年。

あの梅干しも、もうそろそろ底をつく。

 

退職して家にいるようになったら、

「母の梅干し」を漬けてみたいと

ずっと思っている。

 

姪が送ってくれた「しあわせLETTER」で

今日は本当に幸せ気分。

ありがとうね、まきちゃん。